親の手助けは資金援助と送迎のみ
そう言い聞かせながら応援するものの、やはり「もどかしい!」「一言物申したいぞ」という場面はある。ほぼ毎日ある。
ついこの間も休みだったので早めに迎えに来て練習を見ていると、コーチに怒られている。
一部始終を見ていたよその子の保護者に聞くと、どうもウォーミングアップの時点でサークルに間に合っていなかったらしく、以降調子を上げることもなくやり直しの繰り返しのようだ。
何度か書いたが「サークル」というのは、例えば50mのクロールを40秒サークル、と言われたとしたらスタートから次のスタートまでが40秒、つまり30秒で泳げれば次のスタートまで10秒休み、40秒かかれば休みなしですぐ次のスタート、ということになる。
ウォーミングアップなので無茶な設定はされていないはずである。
にもかかわらず間に合わせていないので怒られるのである。
本気の出し方がわからないとは??
帰り道、本人に聞いてみるとおおかた合っていた。見学席からは会話は聞こえないうえに他人の子の様子までよくわかったもんである。
もっと本気で取り組んだら?と何度か言ってみたことがあるのだが「だって、どうやって本気だすのかわからないんだもん」を繰り返す。
「はぁ?」と思ったことだろう。私も思った。
そんなん無理をおしてガムシャラにやるしかねぇんじゃねぇの??としか言い返せないが、これまで当たり前すぎて言わなかった。
無理をしない人間はいるのだ
「あのね、自分のできる範囲で頑張るのは本気だすことにはならないよ」
「………」
もしかして…、わかっていなかったのか??
親のDNA
娘の性格は夫に似ている。血液型占いは話題のタネに、程度しか参考にしていないが、血液型も同じだ。
これを言うと夫には鼻で笑われた上に「(夫と娘で)血液型が同じということは母よりはDNAが父に近いということだからそりゃあ共通点も多くなるだろう」と言われるのである。本当なのか?夫婦ともに文系で私に至っては理系4科目の合計点が現国1科目より低かった猛者なので何も言い返せないのだ。
まぁ、この夫という人間は基本的に無理をしない。自分を美化するつもりはないが、対して私は少々ワリを食っても譲歩の余地を探そうとしてしまうのでわりと図々しい人に利用されがちである。いわゆる「お人よし」というバカの部類でなのだ。
夫本人にしてみれば、嫌で嫌でたまらないリーマン生活を耐えていたり、私という面倒な女との共同生活にも歯を食いしばって耐え忍んでいるうえに!!と、まぁまぁ本気で激怒するだろうが、そういう「根気」に分類される無理ではなく、どちらかというと「気遣い」に分けられる類のそれがフォルダごと存在しないレベルで「ない」のだ。
たとえば、待ち合わせをしていて遅刻してしまったとする。
待ち合わせ場所に相手が待っているのが見える。
相手が気づく気づかないとに関わらず、速足で相手のところに向かう人、相手の視線を感じて歩みを早める人、だいたいどちらかに当てはまると思うが、この夫は相手の視線を一身に受けたまま全くペースを変えずに近づいてくるのだ。まじかよ、グッドルッキングガイの俺が来たで、歩いてるとこじっくり見てええで、ってことなんか???
独身時代も大体待たされるし、急ぐ気配もないので、なぜと聞いたことがあるのだが、回答が「そんな何m走ったところでなんぼも変わらんやろ」であった。
そういうことではない。
でも、本人にしてみれば走って短縮される時間と走ることによる疲労感を勘案すると走ることは非効率、という計算になるのだという。何でも効率で換算しやがって、ガチガチ日本企業の社畜のくせに体質は外資系企業なのかよ。
これを読む女性を震撼させるエピソードはまだいくつかあるが、ただの悪口になるので話を進める。
できる範囲の「頑張り」
要は、娘はこのDNAのおかげで「できる範囲」でしか頑張らない人間になっているようである。
ピアノだって反復練習が大切といったって、いつまでもバイエルを弾いていて、ある日突然にショパンのエチュードが弾けるようになるはずがない。新たな楽譜への挑戦が新たなテクニックの獲得に繋がる。
つまり娘はこの一年余り、ずっとバイエルを反復練習していただけなのだ。あまりの時間の無駄遣いに気付き私は白目を剥いた。
芥川龍之介の「漠然とした不安」くらいの薄らぼんやりと「できる範囲じゃダメなんだなぁ…」と思い始めた様子だが、どう見てもそれを実践することに「納得」している気配はない。おいおい、龍之介はこんな薄らぼんやりで自害したんやぞ、いい加減目をさませ。
理解が追いつく前に行動する、という能力は、ともすれば思考停止に陥りがちだが、ときには盲目的に前進することも重要だ。納得しないと前に進めない。頭が悪い癖に得心がいかないと行動が起こせないここは、母のDNAの悪影響なのである。まさしく、負のハイブリッド。娘にはゴメンとしか言いようがない。
ただ、忘れてはいけないのは子供は両親の分身ではない。別個の人間だ。同じDNA、同じ生活環境を共有しているからといってそれを忘れると、ただの支配になってしまう。
そこは忘れないようにしたい。