少年革命家You Tuberの言い分を聞いて思うこと

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勉強や練習の積み重ねに意味はないのか

水泳を競技として続けている皆さんにとって、日々の練習の積み重ねがいかに大切なものかを説くのは、まさに釈迦に説法であります。

ひと言で「積み重ね」といっても、10㎞泳いで力がつく選手もいれば、同じ結果が20㎞泳がないと得られない選手もいるでしょう。

でも仮に、ぶっちぎりで優勝した選手がいたとして、他の決勝に残った選手と比べて泳いできた量に大差はないと思います。全員にたゆまない努力があることは大前提として、その努力をどれだけ効率よく力に還元できるか?は他に原因があることを示唆しているとはいえないでしょうか。

練習の積み重ねは、それ自体も成果をもたらしますが、それによって、己を知り、成果を自分向けにカスタマイズする能力をを身に付けていけることにこそ、意義があると思っています。

要は、漫然と練習をこなすだけではダメ、ということです。

練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。

https://twitter.com/faridyu

引用はダルビッシュ有 投手のツイートです。

頭を使って練習するってどうすればいい?

漫然と練習していてはダメ、それはわかった。では、その頭の使い方はどうやって身に付けるのか?それには、自分のレベルの現在地、明確な未来予想図を把握していなければいけないということ。

表現がふわっとしていますね。

水泳の練習で例えれば、50mのクロールで10本をハードで泳ぐとします。セット数にもよるけれど、今の自分はサークル何秒ならこなせるのか?ゆくゆくは、どのくらいまで余裕でこなせるようになって、記録は「何秒」を「いつまで」に出せるようになりたいのか?

そういう判断と目標設定は、日々練習をして自分の現状を知っていないと正確には答えられないはずです。

フォームもしかり。これから記録をさらに伸ばすには、弱点のキックを強化すべきなのか、強みのプルをもっと活かすのか、それとも根本的なフォーム改善が必要なのか…。

基礎能力にしてもフォームにしても、足りていること、いないことを知るには日々練習を積み重ねて自分と向き合っていなければ不可能でしょう。

だから、他のスポーツでトップレベルの競泳選手以上に筋力やスタミナがあったとしても、それを活かす技術が伴っていなければ、競泳でトップに立つことはできないはずです。マンガやドラマと違って、現実には「素質」といった根拠のあるような、ないようなものだけでいきなりトップに躍り出ることはありません。

それでは、勉強は?

昨今、話題をさらっている少年革命家と名乗るYouTuberの小学生。彼は、宿題を強制されるのが嫌で不登校になったとかどうとか…。

ネットで取り上げられている内容しか知らないので私の少年に対する認識は、教室にいる同級生たちがロボットに見え、自分はロボットになりたくない!と不登校を決意し、ロボットになることを回避。晴れて親の傀儡として下位互換を果たす…というものです。すみません。被害者の少年に対して、大人げなく意地悪な言い方をしました。でも、それくらい彼の親には良い印象を持っていません。

それに対する感想は「親に言葉尻を取られたのかも。気の毒だな」。

親の立場の方も読んでくださっているので、経験ある方も多いかもしれませんが、子供がぐずったり、泣いたりしたときに親が「どうしたの?痛いところあるの?」などと聞くと大して痛いところもないのに、あるいは痛くもないのに「うん」と答えたりすることありますよね?

変な話ですが大好きな親の期待に応えたいという気持ちから?はたまた、なんとなく、「~だよね?」と聞かれたので「うん」が答えやすかった、という感じ。

これは全くの想像ですが、宿題を強制された!学校嫌だ!となった時に「無理強いをする学校はおかしいよね?」「言われたとおりに宿題や授業をこなすクラスのみんながロボットに見えたんだよね?」「自由に生きたいんだよね?」と親に聞かれれば、期待に応えたい気持ちも相まって「うん」と答えてしまった可能性はないですかね?

嘘つきの心理と一緒にしては失礼ですが、嘘つきの人間は、自分の嘘に自分で騙されて、しまいにはそれは本当だと思い込むので嘘がうまいのだそうです。

自らの意思で発信をした、と錯覚してしまっている可能性はないでしょうか?だとしたら、気の毒なことです。親の意見を子供本人の意見と混同させないように注意するのは親の責任ではないのかなと私なら思いますが。

なので、自分の意見をさも真実かのように子供に伝えることはしないように意識しています。

「お父さんはこう思うよ」「お母さんはこう思うよ」「でも、違う意見を支持する人もいるよ」「立場によって同じことでも違って見えるよ」「どれを正解だと思うかは自由で、それは全員に与えられているものだよ」「だから、これだけが真実、と断言する人は注意したほうがいいよ」と言っています。

勉強においての積み重ねは重要か、否か?

この少年革命家YouTuberの活動を受けてなのか、ホリエモンこと堀江貴文さんは今年の5月に「掛け算なんて計算機で出来るじゃん」「小学校とか、なんの役にも立ってない」とツイートされたとか。

たしかに、掛け算を習った私も、電卓は使います。もしかして、小学校で学んだことを通信教育で同じように学習しても、同じ程度の学力は備わったかもしれません。

小学校での集団生活に一定の意義はあると思いますが、その子にとって毎日を沈んだ気持ちで過ごしたり、明日に希望が持てなくなるような場所であるなら無理にまで行く必要はないし、小学校に代わる場所や学習手段はいくらでもあると思います。

ただ、電卓は何と何を掛ければいいかは教えてくれません。何の数字を掛ければ求める答えが導き出せるのかは自分が考えなくてはいけないことです。

「掛け算の計算ができる」ことは、水泳で例えるなら泳ぎこむことと同じで、大前提なんです。それを活かすのか、無駄にするのかはその人次第です。

勉強ができない自分を棚上げして、勉強を意味のないものと言いたい人の詭弁に「代数幾何や物理がなんの役に立つのだ」というような不満をもらす学生は一定数います。

まぁ、高校の頃の私もその一人なんですが。

でも、ベクトルを理解して景気予測に応用する人もいるでしょうし、物理の授業で第一宇宙速度、第二宇宙速度の求め方をマスターして興味を持ち、やがて人工衛星やロケットを飛ばす人もいるでしょう。

「無知の知」とはこのこと。自分が知らないだけで、やりたくないだけで数学や科学の勉強を自分には意味のないものと断じる無知をさらした高校時代の己をビンタしたいです。関心の薄い分野だったとはいえ、私はまさしく、この時に自分の可能性の芽をひとつ摘み取ったといえるわけです。

「掛け算の使い時」を知ることこそが、勉強の積み重ねで得られること

今、サークル何秒が目標で、それはキックの強化で達成できるかもしれない、と判断できることと同じです。

目的遂行の手段をいくつもの選択肢から的確なものを選ぶことが、本当の勉強ではないのでしょうか?

1個50円の鉛筆を10本買いたい時に、50円を10回足し算しても同じ答えになりますが、ここで掛け算が使える、掛け算することこそが最適解だ、と判断できるかどうか、というのは積み重ねで応用力を備えていないとできないことです。

10回足している間にお手伝いでもして、そのお小遣いでもう1本鉛筆が買えるかもしれない。最適解は利益も生みます。

もう一つ仮の話、まだ掛け算を習っていない子供に「50押して、×押して、10押して、イコール押して?ほら、50円の鉛筆の10本分の金額が計算できたね?使い方わかった?じゃあ、2人の子供が1000円を持って50円の鉛筆を10本買うといくらになるかな?電卓使っていいよ?」と聞いてみたとしましょう。何人の子供が答えが同じになると判断できるでしょうか?

小学校に行く行かないは別としても、宿題の拒否、つまり勉強の積み重ねの拒否は応用力や判断力を奪うことに他ならないのです。

泳ぎ込んでいるうちに、泳ぎ続けることが当然となり、それで生まれた余裕から自分の弱点に気づくように、単純な掛け算のひっ算を解き続けるうちに、解くこと自体には頭を悩ませなくなった頃に活かし方に気づくからです。

堀江さん自身は、東大に入学されるほどのインテリですし、テレビで拝見する様子を見ても頭が切れる方なのは、皆さまもよくご存じだと思います。

問題やトラブルに対して、解決の手段をいくつもピックアップしてベストのひとつを選んでこられたでしょう。

それができるのは、勉強によって応用力と判断力を鍛えてこられたからだと思います。そして、それがほとんど無意識で行われているために「掛け算は計算機がやってくれる」という発言につながるのでしょう。

私は、学力がアレなほうなので、積み重ねのない人に、そもそも解決手段の選択肢が出ないことはわりと体感として理解できます。

競技生活が終わった時に

スポーツでも勉強でも何かを続ける、積み重ねる、とは、大きくて丈夫な袋を作って中身を使いこなせるような人間になるということではないでしょうか。

練習でも勉強でも、積み重ねると織機が動いてペダルを強く踏めば丈夫に、長く踏めば大きく。作った経験が応用力となって袋の中身になる。そんなイメージ。

その中には、蓄えた知識や筋力、技術が入るのはもちろん、作った後に吸収される知識や技術を蓄える余裕も残してあるのです。

スポーツを頑張り続けて袋ができた子の中身には知識や学校成績に繋がるような学力は少ないかもしれませんが、実は貯め込む袋は大きくて丈夫で「続けられる体力」のようなものが備わっていると思っています。

なので、「1時間勉強頑張ってみて」と言うと意外と1時間集中を切らすことなく勉強していたりします。継続すること自体に慣れているからです。結果はすぐには結び付かないこともあるでしょうけれど、私自身は計画表ばかり立ててまったく行動しなかったので、これができることがどれだけすごいかはよくわかります。

スポーツもすごいのに、勉強もできる!という子が意外と多いのには、このスポーツでできた「力の貯め込み袋」に理由があるのかもしれません。

もちろん、スポーツに特化しすぎて勉強が…という子も多いことは事実ですが、この「積み重ねる」という行為がクセづけられている子は、モチベーションの上げ方や工夫次第で如何様にも飛躍できる可能性があると思います。

水泳に限らず何かを頑張ってきた子たちはきっと立派な「貯め込み袋」を作っているはず。競技生活後に水泳をしてきた事実しか残らない人生にするのか、水泳で学んだことが活きる人生にするのか、そこの選択を誤らないように見守り、場合によってはいくつかの道しるべを示してやれるような親になりたい、と自戒を込めて少年革命家のニュースを見ていました。

ひょっとしたら、YouTubeで「宿題嫌ならやらなきゃいいじゃん」「学校嫌なら行かなきゃいいじゃん」と言い続けたものが積み重なれば、何かの袋ができるのかもしれない。知らないことも知らないで、取捨選択した袋の中身が、ニュートラルな、あるいはそうでありたいと感じられるようなラインナップとなっているのか。私はその袋の中身を覗くのはこわいな。

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