ナルシストくらいでないとやってけないよ
平昌オリンピック、閉幕しましたね。
私が小さい頃は、夏のオリンピックはもとより、冬季オリンピックなんてもっとメダルから遠いもの、という印象があってアルベールビルで三ヶ田礼一選手、河野孝典選手、荻原健司選手がノルディック複合で金メダルを獲ったときめちゃくちゃビックリしたのと、なんかノルディック複合がどんなもんかもよくわからないままスゴイスゴイと喜んだのを覚えています。当時は中学生だったので仲良しの友達と3選手の誰派か?でキャッキャ言ってましたね~。ちなみに私は周囲で唯一の三ヶ田選手派でした。今の競泳選手でも瀬戸選手か萩野選手か?みたいな話になった時も断然!萩野選手派でマイノリティーなのですが、なんで?たまたま??両選手とも、あの朴訥さがめちゃステキなのに…。
閑話休題
今回の平昌オリンピック、やっぱり羽生結弦選手の金メダル2連覇なくしては語れないですよね。ここをキッカケに爆発したんじゃ?というくらい後半の日本メダルラッシュは毎日ワクワクしましたね。
日本はもちろん、海外にもファンがたくさん!の羽生選手、ネット検索した時のキーワードによって調べたい人が何を望んでいるかご存知ですか?
「羽生結弦」で検索しようとすると、次の単語(AND検索)の候補にはYAHOO!でもGoogleでもネガティブな単語はありません。(怪我、などはありますが、ファンの方も心配で調べられる方はいるでしょうから不問とします)。どちらかというと、YAHOO!のほうが「家族」「彼女」などが続いていて、ミーハーな方が多いのかな、というキーワードです。
そんなYAHOO!ユーザーの傾向を踏まえて、「羽生」で検索するとYAHOO!では「きらい」「気持ち悪い」などのネガティブな単語がAND検索の候補に挙がります。検索内容によっては、高校時代に野球部の部員からいじめを受けていた、というまとめ記事がネット上に数多く上がるなど、その活躍を妬む生徒の存在を示唆しています。
羽生選手は、誰よりも美しく強くあろう、という王者の風格こそが魅力であって、それを実現し得る才能、努力を試合で発揮してくれるからこそ、誰もが魅了され、感動するのだと思うのですが、逆にそういうところに嫌悪感を抱く人もいる、ということなのでしょう。
100人全員が好きになるような人を嫌いになる人がいるから全員から好かれることは不可能、という内容のツイートを最近見かけました。なるほど、それはそうかもしれない。いますよね、「あの子さ~、良い子なんだけど、なんか裏がありそうじゃない?」とか言う人。私もまったく思ったことがないとは言いませんが、それって結局なんの落ち度もない相手に勝手に嫉妬して劣等感抱いちゃってどうしようもなく醜い自分の心のありようだと思うので、私的には「よう言うたな、オマエ…」って感じですけど。思ったことがない、とは言いません。でも、思っていても言えないなぁ…。
それにしても、アスリートで「自分こそ最強」「自分こそ至高」、そう思っていない人間が天辺に登れることが、はたしてあるのだろうか。
日本人は「私なんかまだまだ…」とかよく言いがちですが、それでもアスリートって内心では闘志メラメラなんじゃないですか?
自分が認めていない自分を他人が認めてくれるだろうか
表面的にはありますよね。
「はぁ…ブスすぎてツライ」とか言って自撮り画像をSNSにアップして「そんなことないよ」「めっちゃかわいい」のリプライ待ち、みたいな人とか。
私だって!ブスすぎてツライ!!願わくば目出し帽(強盗とかが被ってるやつ)で出歩きたい!スケバン刑事みたいに鉄仮面で暮らしたい!!でも!そんなことしたら警察に止められるからぁ…。
だいたい、自撮りの「自」の字にも縁がなくてさっき変換したら一個目の候補「地鶏」だったから!「ぢどり」って打ってないのに!
なんか、今日は本題からずれる傾向に…。
つまり、自分の力を出し尽くせている!と思えていない人が世界の天辺とれるものか!って思うのです。
「自分は美しい」
「自分は強い」
「自分は速い」
そう思っていることが先に来るんではなくて、そう思えるだけの努力を積み重ねてきたということ。
ナルシスト、キモい、と言っている人は、そこを逆の順で捉えている。「自分は美しい、だから高い芸術点が取れる」「自分は強い、だから優勝できる」、そういう自己暗示から強さへと繋げているんだろうと想像しているから「ナルシスト」「キモい」となる。
そりゃ、根拠のない自信はキモいです。では、なんでそういう発想になるか?というと、いくつか想像できるのですが、つきつめると結局は自分より頑張っている人、結果出している人に「キモい人であってほしい」という願望なのでしょうね。妬みです。どこか普通じゃないところ(ネガティブな意味で)があって欲しいんでしょうね。
なんでそんなことがわかるかって?私も頑張ったことがない人だから。
でも、そばに頑張っているわが子がいるので、
「自分は美しい」
「自分は強い」
「自分は速い」
これを努力の積み重ねから自認できる人は素晴らしいな、と思います。とはいえ、努力を積み重ねることを知っている人間が、自分の結果を比して「まだスゴイと言えるレベルではない」と謙遜してしまうのもあるあるですね。
いずれにしても、何かしらで努力した経験のある人は羽生結弦選手のことをナルシストなんて思わないわけで、「(○○ができて)ズルい」とかそういう発想はないものなのです。