最後の試合

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選手コースを辞めてはや約一年…

 ずいぶん更新をご無沙汰してしまいました。

 わが子が選手コースを辞めてはや一年近く経とうとしています。

 辞めようと思った理由はいろいろ複合的で、塾や乗馬で時間が思うように取れなかったり、生理が始まったりして中途半端に練習して漫然と試合に出るくらいなら、今はいったん区切りをつけて、始めたくなったらまた始めればいい、そんな気持ちで退会したのでした。

 辞めてみて、本人はいろいろ思うところ、また一年近く経とうとしている今、気持ちにも変化が現れてきたようですが、それはまた今度。

 今回は、最後の試合について自分の覚書として。本当に成長したね。

選手生活最後の試合は非公認

 「もう、記録を伸ばせるほど練習する時間を取ることができないんだな」と親子ともに感じたのが去年の夏。勝てていた子にも負け始め、試合に出ても本当に出ているだけ、という印象しか感じなくなってきました。もともと水泳に人生を賭けている、というほどの情熱もなく、でも泳ぐことは好きになったから、場所を変えて続けてきたというわが子の選手生活でしたが、行ける時にだけ練習して、試合に出てボロボロで…というのは、本人的にも「これでは良くない」と思い始めていたと思います。親が促す形ではあったけど、いったん水泳を離れることにしました。

 踏ん切りをつけたのは、公認大会でしたが、そのあと辞めるまでには姉妹校の大会と中学校の学校対抗試合しか残っていませんでした。

 中学校の試合は、各校が各クラスから1~2人選抜して学校対抗で結果を競うのですが、ありがたいことにわが子は個人競技と学校対抗メドレーリレーに出させてもらえることに。

 個人競技は本人的にはぼろぼろでしたが、リレーでは1着でゴールすることができました。(シンプルに他の3名がすごかっただけですが…)

 ただ、わが子も「これは絶対に1着で帰ってこないとあかん…」と思っていたらしく、その理由がチームメイトの一人にとってこれが最後の試合だったからだというんです。…いや、あなたにとっても最後の試合ですけどね…。

 彼女は、全国レベルの選手でしたが、試合に対するイップスの影響でわが子同様、今回の試合を最後に水泳は完全に辞めるわけではないけれど距離を置く、とのことでした。

 たまたま、彼女のお母さんと現地でお話をする機会があって少しだけ事情をうかがっていたものの、わが子は本人しか知りえない苦しい胸の内を聞いたようです。

 それは、彼女自身が「こんなに人に自分のことを話したのは初めて」というほどの隠し立てのない心情の吐露のように感じました。それを、リレーの招集と待機のわずかな時間にヒアリングするとは…。

 たしかに、わが子に話を聞いてもらうと、大人の私でも癒されるというか、ただ愚痴を吐いてスッキリ、というだけではないなにかがスーッと浄化されるような安らいだ気持ちにさせられるのです。

 ただ、なぜ唐突にわが子に誰にも話してこなかったそれを話そうと思ったのかはよくわかりません。ひょっとしたらわが子がライバルになるようなレベルにないからこそ、吐き出せた弱音かもしれません。わが子も「ひょっとしたら今までは周りはライバルばかりで言えなかったのかもね」と慮り、「それならそれでもいいよ、レベル違いは本当のことだし、あの子が楽になったんならそれでいい。」と言っていました。良い子なんですが、その負けん気のなさが練習の足を引っ張ったとも言えなくもなく、複雑です。まぁ、やさしいほうがいいかな。

この子の締めくくりを1位で

 それを聞いたわが子は奮起しました。

 「バンバン全国で勝ち続けた子の最後が非公認の入賞程度じゃ悲しすぎる。これは1位で帰ってこないとあかんぞ」

 何回も言いますがこの試合、わが子の最後の試合でもあります。

 まぁ、いいとして。

 結果は、前の3人の力泳を無駄にすることなく、1位でタッチできました。意外と、自分より他人のことで力が出せるタイプなのかもしれない…。

 最後の試合は、非公認ではあるものの、わが子の傾聴力や人を癒す力、どんな時に根性見せないといけない、と思っているのか、水泳を通じて、水泳以外の大きな成長を見ることができて、まさしく集大成だったな、と感じた一日でした。

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